白河駅まで・・

2011年06月14日

今日は言葉もなく涙るいな気分です。

一人のおばあちゃんがお店に飛び込んできました。
タクシーを呼んで欲しい。
白河まで行きたいのですとの事。

タクシーを呼んでも、白河からだと30分は早くても待つようですよ。
話の流れでもし大丈夫なら白河まで乗せてほしい。

今日は幸いお店は暇、さらに助っ人もいたので駅まで送ることにしました。

車の乗り話を聞いてみると・・・・・


実はお店に飛び込むまでに2時間も歩いてきていました。
お年は聞きませんでしたが70歳後半でしょう。

歩いてくる途中には公衆電話もなく
どこも相手にされなかったようでもあります。

これからどうしても、いわきまで用事で行かなければならない。
そこでまずは白河駅まで行きたいのです。

もともとは原発に近いところで農家をしている家。
それが、爆発するからとにかく10キロより離れなさいといわれ
避難したら、さらに20キロより遠くへと言われて逃げ、
最後には30キロより出なければならないと又移動。

家族はみんなばらばらになりあちこちへ頼りながら被災し、
そのおばあさんは那須へ被災してきました。

もちろん高齢であり携帯などの持ち合わせも無く
家族との連絡も取っていない。


途中、車窓からは緑の田園風景を見ながら
今頃はふるさとはどうなっているのだろうか、
先祖代々受け継いできたのに、守れなくて申し訳なく
落ち着いたら戻りたいけど戻れるのかなと・・ポロリと・・

数年前に52歳の息子さんが亡くなった。
思い出していろいろな思いが脳裏をよぎったのでしょう。

そのおばあさんの息子さんが生きていれば、
もし被災しても一緒にいたはずだし、
一人知らない土地でさびしい思いをしていたのだとわかりました。

白河には3回くらいデパートに来たことがあるそうで
昔は駅前にいくつかのビルがありデパートがあった。

それでまずは白河へ行きたかったようです。

白河駅お別れしましたが、公衆電話で親戚に電話をするそうです。
ここからはどうやって迎えに来てもらうか、
連絡を取り帰れるので大丈夫だといいます。

かける言葉も浮かばないままに、
気をつけて、お元気でね、と言うのが精一杯でした。

別れ際におばあちゃんは涙を流されていました。

家族をチリジリにした震災が無ければ、
そのおばあさんもこんな悲しい思いもしないで済んだのにと
やりきれない気持ちでいっぱいです。

これまではTVなどでみるだけのことだった。
それが実際に被災され大変な思いをしている人の現実を知ことになりました。

すべてはドラマでもなんでもなく、現実であり
そのすべてに人がいて被害を受け、耐えて頑張って
生きている人がいるんです。


原発で汚染された土地へ帰るのはいつ可能になるのか・・・
とにかくみんなが早く元に近い生活に戻れることを願うものです。







  


Posted by raito(ありがとう) at 20:33Comments(0)